第5 日本を民主主義国家に変える『簡単な方法』

(1) 最高裁は、違憲立法審査権を有している。最高裁は、「「一票の不平等」を定める公職選挙法は、違憲・無効である」との判決を下すことによって、公職選挙法を無効にできる。このように、最高裁は、「一人一票」という「法」を「支配」させる力、即ち、違憲立法審査権(憲法81条)を持っているのである。この最高裁の違憲判決が、有権者のレベルで、「少数決」でなく、「多数決」で、立法できるように、公職選挙法を変える『魔法の鍵』である。

(2) 有権者の少数決で、立法しかつ行政府の長を決定している日本を、有権者の多数決で、立法しかつ行政府の長を決定する民主主義国家に変える「簡単な方法」は、『国民がインフォームド・コンセント(Informed Consent)に基づいて国民審査権を行使すること』である。治療行為を受ける前の患者の同意は、インフォームド・コンセント(即ち、医師が患者に治療行為に伴うリスクを充分理解できるように説明して、患者が、治療行為に伴うリスクを理解したうえで、同医師から治療行為を受けることに同意をすること)が当たり前である。ところが、過去・現在の最高裁裁判官の国民審査における国民の投票権の行使は、インフォームド・コンセントになっていない。
例えて言えば、「一人一票」問題の憲法裁判における裁判官は、手術台の前の脳外科医に等しい、と言えよう。手術を受ける患者は、脳外科医に対するインフォームド・コンセントの権利がある。「一人一票」問題の裁判によって自らの選挙権価値が一票か一票未満かが判断される国民は、最高裁判所に対するインフォームド・コンセントの権利がある。

(3) 前回2005年の最高裁裁判官の国民審査に於いて、最も不信任の得票率の高かった最高裁裁判官ですら、不信任の得票率は、僅か8%でしかなかった。
1票未満の価値の選挙権しか与えられていない有権者が日本の全有権者の過半数を占めている。それにも拘わらず、これらの有権者の大部分は、最高裁裁判官の国民審査に於いて、「一票の不平等」を定める公職選挙法は『合憲』との判断をした合憲意見の最高裁裁判官に対して、「不信任」の票を投じていない。この現実は、「合理的な判断をする人間は、自己の利益に反するような判断をしない」という命題に反している。
このような摩訶不思議なことが起きているのは、有権者が国民審査の際、各最高裁裁判官が合憲意見であるのか、違憲意見であるのかを知らないまま、形式的に国民審査の投票をしているからである。

筆者は、25人の女性に下記の質問をした。
「女性の選挙権を0.9票とし、男性の選挙権を1票とするという公職選挙法があったと仮定します。更に、国民審査の対象の裁判官は、合憲意見の裁判官と違憲意見の裁判官の2派に別れたと仮定します。この公職選挙法(仮定)を合憲・有効とする合憲派の裁判官を不信任としますか、信任としますか?」と。
25人の女性全員は、「合憲派の裁判官に不信任の票を投じます」と答えた。
筆者は、19人の男性に同じ質問をした。19人の男性も、25人の女性と同じく、「合憲派の裁判官に不信任の票を投じます」と答えた。
このように、女(25人)、男(19人)の回答が同一なのは、『選挙権の価値を性によって差別すること』が不正義だからである。

他方で、ある地域の住民は、1票未満の価値の選挙権しか与えられておらず、他の地域の住民は1票の価値の選挙権を与えられるという、選挙権の価値に住所によって差別を設けている現行公職選挙法がある。公職選挙法により1票未満の票しか与えられていない地域の有権者は、どの裁判官が合憲意見の裁判官であるという情報を知れば、その圧倒的多数が合憲意見の裁判官に不信任の票を投じると考えられる。けだし、上記の女性の選挙権の不平等の場合と同じく、1票未満しか与えられていない地域の有権者は、住所による差別によって、自らに1票未満の価値しかない選挙権を与えている公職選挙法(即ち、自らを「一人前以下の国民」扱いする公職選挙法)を感情的に許容できないからである。その理由は、『女性の選挙権は、0.9票』と同じく、それがあからさまに正義に反するからである。
「一人一票」の否定は、不正義の最たるものである。

(4) インフォームド・コンセントに基づく国民審査が実行されれば、国民審査の結果を見て、それまで多数意見であった最高裁裁判官が、国民の意見を考慮して「一票の不平等」についての意見を変えることも十分あり得る。
最高裁裁判官の定員は、15人である。その過半数の8名が、住所がどこであろうと、皆一人一票を有すると考え、「一票の不平等」を認める公職選挙法を違憲・無効と判断すれば、有権者のレベルでの多数決で、立法しかつ行政の長を選ぶという『民主主義国家』が生まれる。
「一票の不平等」を定める公職選挙法を合憲・有効とする立場に立つ合憲意見の最高裁裁判官は、「最高裁裁判官は、国民から選挙の洗礼を受けているわけではない。よって、最高裁が公職選挙法を無効とするような判決を下すことは、「一票の不平等」の程度が不合理でない限り控えるべきである。まずは、国民によって選挙で直接選ばれた国会議員が、国会の中でこの問題を解決すべきである」という司法謙抑主義の立場なのかもしれない。
有権者が、インフォームド・コンセントに基づいて国民審査権を行使することになれば、最高裁裁判官は、6000万人超の国民審査権を行使した有権者の意見が何であるかを直接知り得ることになる。そうなれば、最高裁裁判官は、国会に対して、必要を超えて謙抑的である必要はない。

(5) 具体的に考えてみよう。
第1に、最高裁裁判官の定員・15人の中の4人が事実上弁護士枠である。弁護士枠の4名は、弁護士会から推薦される。現状では、弁護士会推薦の場合、被推薦者が公職選挙法が合憲か違憲かという重要問題にどのような意見を持っているか、全ての弁護士に向けて広く開示されないまま、弁護士全員による投票によらずして、弁護士会から最高裁裁判官候補として推薦されている。
最高裁裁判官への弁護士会からの推薦を得ることを望む弁護士は、「一票の不平等」の問題を含む重要な法律問題につき自己の意見が何であるかを示して立候補し、それを受けて、全弁護士の投票の結果により、弁護士会から最高裁裁判官候補として推薦されるべきである。

第2に、国会議員は、選挙に際して、マニフェストを公表して選挙の洗礼を受ける。最高裁裁判官も、国民審査に際して、国民から「一票の不平等」を定めている公職選挙法を「合憲である」との意見であるのか、「違憲である」との意見であるのかの質問を受けたら、自らの立場を明らかにして、国民審査に臨むべきである。

国民審査の対象となる裁判官の中には、「一人一票」の憲法訴訟を審理中の裁判官も存在し得る。これらの裁判官は、国民から、「「一人一票」問題につき、どのように考えているか」との質問を受けた場合、「具体的な事案での原告・被告の主張を聞き、証拠の開示を受けたうえで判断することになる判決での意見は、異なることも有り得るという条件」を付した上で、自らの「一人一票」問題についての法律家としての意見を明らかにすることが望まれる。但し、最高裁裁判官が、一般論としてであれ、コメントを求められるテーマは、「一人一票」問題に限られよう。
利益較量をしてみよう。(ア)「一人一票」問題の憲法訴訟の判決前に、自らの「一人一票」問題についての意見を、国民に明らかにしたうえで、国民の国民審査権行使の洗礼を受け、国民審査で不信任とされなかった裁判官によって「一人一票」問題の憲法裁判の判決を下される全国民の利益と(イ)裁判官が、「一人一票」の問題に対する法律家としての一般的意見を述べないまま、形だけの国民審査を経て、「一人一票」問題の憲法裁判の判決を下すことによって受ける全国民の利益を比べた場合、全国民にとって、前者(ア)の利益の方が、後者(イ)のそれに比べて、遥かに大である。


<前章に戻る>  <目次>  <次章に進む>