第1 日本は民主主義国家ではない
(1) 日本は、民主主義国家ではない。なぜなら、有権者の多数決でなく、有権者の少数決で、立法がなされ、かつ行政府の長(首相)が選ばれているからである。
以下詳述する。
現在の公職選挙法によれば、衆議院選挙では、ある都市(例えば、東京1区)に住所をもつ有権者が、一人当たり一票を持つのに対し、ある地方(例えば、高知3区)に住所をもつ有権者が最大で一人当たり二票強を持っている。又、参議院選挙では、ある都市に住所をもつ有権者が一人当たり一票持つのに対し、ある地方に住所をもつ有権者が最大で一人当たり4票強を持っている。
これが「一票の格差」の問題である。
私は、以下のように考えていた。
「人間は平等に生を受けたはずである。人間は平等に生まれた以上、どこに住んでいようが、例えば、住所が鳥取県内であれ、東京都内であれ、人間一人一人がそれぞれ、一票の投票権をもっている。ところが、現実は、人口密度の低い地域に住んでいる人々は、一人当たり2票をもち、人口密度の高い地域に住んでいる人々は、一人当たりに一票をもっている。このように有権者がどの住所に住んでいるかによって一票の価値に格差を設けている現在の公職選挙法は、憲法14条の「法の下の平等」に違反する」と。
私は、このように、一票の格差の問題を憲法14条の「法の下の平等」の枠組の中で考えていた。
他方で、私は、7年前まで、日本が民主主義の国であることについて何の疑問も持っていなかった。というのは、日本では、選挙は、概ね腐敗なく、公正に行われており、かつ報道の自由が十二分に保障され、有権者は、報道された真実の情報を踏まえたうえで、選挙の投票をしているからである。即ち、私は、7年前までは、一票の格差の問題と民主主義の問題とをそれぞれ独立して考えていた。
しかし、7年前、突然「民主主義は、議論を重ねた後に、最後は、多数の意見が、全体の約束事を決めることである」という小学校の時に学んだことが頭に浮かんだ。そして、私は、小学生2年生の時、50人のクラスの全員がそれぞれ一票をもち、選挙をして、過半数の得票をした級友が、級長に選ばれ、先生の言う民主主義とはこういうことなのかと、妙に納得したこと、を思い出した。「そうだとすると、一票に格差のある日本は、民主主義ではないではないか。」そのときの驚きを今でも鮮明に覚えている。
この時、それぞれが独立の問題であった一票の格差の問題と民主主義の問題が、リンクした。
一票の格差がどのように多数決に影響するかを知るために、議論を単純化しよう。①国会議員選挙で、人口密度の高い地域(都市部及びその周辺)の住民は、一人一票をもち、人口密度の低い地域(都内部門から遠い地域)の住民は一人1.2票をもっているとしよう。②更に、人口を100人と仮定し、人口密度の高い地域の住民の人口は54人(全人口の54%)とし、一人当たり一票を有し、人口密度の低い地域の住民の人口は46人(全人口の46%)とし、一人当たり1.2票を有しているとしよう。
そうすると、人口密度の高い地域の住民(54人)は、54票(=54(人)×1(票))を有し、人口密度の低い地域の住民(46人)は、55票(=46(人)×1.2(票))を有することになる。
③議論を更に単純化するために、一票が一人の国会議員を意味する、としよう。一方で、人口密度の高い地域の住民(全人口の54%)は、一人当たり一票を有するので、54人の国会議員を選出する。他方で、人口密度の低い地域の住民(全人口の46%)は、一人当たり1.2票を有するので、55人の国会議員を選出する。全国会議員の数を109(=54+55)とする。人口密度の低い地域の住民(46%)の選出した国会議員(55人)が、全国会議員の多数(即ち、50.4%=55/109×100)を占めることになる。46%の人口を占めるにすぎない人口密度の低い地域の人々を代表する国会議員(55人)が、全議決権の50.4%の議決権を有するので、多数決により、常に、全ての法律を創りかつ行政府の長(首相)を決定する。
以上の仮定が正しいとすると、人口密度の低い地域に住所を有するため自己に有利な一票の格差を持っている人口の46%により選出された国会議員が、国会で多数を占め、国会議員のレベルでの多数決により、全ての法律、予算を創ることになる。
一票の格差を定める現行の選挙法の下では、有権者のレベルで見ると、多数決でなく、少数決により、法律、予算が創られ、かつ行政府の長(首相)が決定されている。民主主義とは、国会議員レベルでの多数決ではなく、有権者のレベルでの多数決により、立法がなされ、かつ行政府の長(首相)が決定されることである。
よって、日本は、民主主義国家ではない。
歴史的にみて、重大問題は、しばしば、際どい多数決により決着しているということについて触れたい。
2008年11月の米国大統領選挙で、大勝したように広く報道されているオバマ候補は、全有権者の52%しか得票していない。マケイン候補は、大失敗したような印象をもたれているが、実は46%の得票率である。残りの2%をラルフ・ネーダ候補ら独立系の人々が得票した。オバマは、かように際どい多数決により、米国大統領に当選したのである。
以上は、外国での一例であるが、多数決によって立法するにしろ、多数決によって行政府の長を決定するにしろ、多数と少数の差異が、際どい数のせめぎあいによって決められることが希ではない。その意味でも、多数決のルールを少数決のルールに変えることは、一人一票という基本的人権を侵害することになり、許されるべきではない。
リンカーン米国大統領は、「人民の、人民による、人民のための政府」という言葉を残した南北戦争の激戦地・ゲティスバーグでの演説の冒頭でこう言っている。
「All men are created equal/全ての人間は、神によって平等に創られている」と。
人間は、一人一人、一人一票の基本的人権を有している。個々の人間の基本的人権は、多数決によって立法された法律によっても奪うことはできない。そして、『人間一人一人が、それぞれ国会議員選挙の一票を有するということ』は、基本的人権の中でも、最も重要な基本的人権の一つである。一票の格差の問題は、不利な一票の格差を付けられている都会又は地方の都市に住所を有する有権者にとっては、この一人一票の基本的人権が踏みにじられているという、座視できない問題である。
飛鳥時代から平成迄の1600年の歴史の中で、日本は未だ一度も民主主義国家であったことがない。日本人の一人一人が一票の投票権を有する民主主義国家の創設に成功すれば、それは、歴史である。我々日本人は、民主主義国家をこれから生まれてくる日本人に引き継ぐことができる。
日本は、少数決で、立法をし、かつ行政府の長を決定する国より多数決で、立法をし、かつ行政府の長を決定する国、即ち、「民主主義国家」を選択するべきである。
以上
2009年2月27日
弁護士 升永 英俊
大変興味深く拝見しました。
一票の格差について、そういうのがあるということはなんとなく知っていましたが、日常生活とは別次元で捉えていました。
私は20才になった時から当然のように選挙権を与えられているので、一票の有り難みや理解が薄いからだと思います。
今後、この問題をもっと身近に感じ、積極的に取り組んでみようと思います。
日本が民主主義国家ではないとは考えてもいないことでした。この論文をどこまで正しく理解できているか分かりませんが、確かに、少数決で法律が決まっているという今の状態は速やかに是正されるべきだと思います。
アメリカでは、黒人大統領が誕生するようなドラマが展開しているにもかかわらず、どうして日本ではこの首相なんだろうと漠然と感じていました。原因は日本の民主主義は純粋な多数決になってないということなんですね。日本でされる裁判の判決にしろ、選挙結果にしろ、最高裁の裁判長をみんなで決める、国会議員をみんなで決めるという仕組みをしっかりすれば,劇的に変わる可能性を感じます。